無理をしてトップの名門校にいかず二番手の学校にいっていたなら、もっと幸せな学生生活を過ごせたのではと考える人は多いだろう。だが、二番手学校にも、実際にはトップ校を1~2点差で落ちたような優秀な生徒があつまってくる。二番手校なら、自分はきっと上位のはず。そんな甘い考えは即座に打ち消される。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/22321
俺の場合も、似たようなもんだし。
中学に入ってなんか空気が怖かったね。僕が一次志望で滑り込んだ私立なのに灘の不合格組とか、もう既にギラギラしてるんの。意味わからなかったし、ホッとするヒマもなかったし。でもそれでも楽しかった。といまは思える。
脱落者も多かった。僕の時代は同級生が150人ほどで、高校入学時には30人ほどが脱落して、高校選抜で選手交代してた。
僕は、成績ワースト10の常連だった。勉強より孤独感に耐えられなかった。なんか違ってた。
高校時代はみんな色々辛かったと思うよ。
母校は、そんなに神経質になるほど進学校じゃないレベル。平均レベルでせいぜい阪大・神戸大といったところだった。
それでも脱落した彼らのことを思うと、ちょっと悲しい。けれど、努力が足りなかったんじゃなくてモチベーションを維持出来なかったり、孤独だったり、自尊心がボロボロだったり、安心して勉強に取り組める夢を失ってたり。「深海魚」そういう目で見られることに慣れてなかったり。
やっぱり心の問題だと思うし。心のエネルギーの問題だと思う。
いっぱいの挫折者を見たあとに、自分も挫折者になって、自宅でアルバイトとZ会やりながらのんびり、センター9割を目指してた浪人時代を思い出すと、やっぱ「目標」と「道順」が大事。これが見えてるとブレずにすすめると思う。
その後挽回で頑張って第一志望の薬学部合格したんだけど、手違いと勘違いで理学部に行くハメになっちゃって、その後は悲惨。なんか破綻しそうな性格を維持してたのが違う方向へフレちゃって、もうずっとボダだし、妙ちくりんなプライドにしがみついてるし。
自由なときにたくさん考えたけど答えは出なかった。むしろ追いてかれた孤独感のほうが大きかった。
考えて考えてもダメなんだな。考えても迷ってもひとつしか選べないし。悩んでも時間が過ぎるだけ。失敗しても帰れる場所があるそう思ってエイヤって前に進めないのは可哀想だ。
自尊心ズタボロの中で家庭にも居場所がなかったみたいなアイツらはどうなったんだろうと思ったりしてた。
競争は大事だし、べつに辛いものでも何でもない、同じ勉強をして同じクラスに誰かがいる。それだけでも十分。孤独とは言えない。それに気づいて欲しい。おとなになった僕は中高一貫校の生徒にそう願う。同じ授業受けてるーその共通項があるだけでも十分幸せなんだよ。
競争やプレッシャも大事だよ。でも今は、自由が一番大事だと思ってる。自分の居場所はいつも自宅のコタツだった。これは15年たった今でも変わらない。ある程度の自由と帰る場所さえあれば頑張れる。
挫折してきた自分が言うのもなんんだけど、肩たたきは当たり前だし、そのほうが本人のためだと思う。
だから肩たたきしていい社会。少し休める社会が必要だと思う。浪人したっていい。留年したっていい。自律と自尊心と社会性をしっかりみにつけて欲しい。時間をちゃんと使えるオトナになるべきだと思う。
迷っても悩んでもいいけど、前に進めないのは可哀想だ。だから肩たたきは賛成だよ。だけど肩たたきをして脱落者を前向きな気持ちにさせないのは人間の本性だと思う。それはほんとうに悲しい。
新卒の一括採用なんてあるから、浪人したっていいってならない。あんなもの辞めちまえ。
新卒の一括採用ってのはやめて欲しい。過去の残滓だよ。地方から都市へ女工の確保や建設労働者の大量確保の名残なんだから、あんなものバブルどころか、戦前どころか、明治の大規模手工業時代の名残だよ。と言い放って新卒の一括採用や春入試に反対したい。
「脱落者」だって「ちゃんと出直し」できる。脱落したことより、「失敗したけど、未来を見据えて頑張った」ほうがずっと自信につながるさ。*1
深海魚だって頑張れるように、秋入試にしたほうがいいさ。秋入試や春入試や選択肢は増やしたらいいさ、秋入試なら入社時期は?なんて記事になってるのがおかしい。通年とまでは行かなくても、年2回入学選抜をすればいいじゃん。そして、入学しやすく卒業しにくくしたら良いじゃん。大事なのは目標に向かって走るってことで、目標を見据えられるかってことだよね。*2
匿名ダイアリーに書くべきだけど、別にいいや、開き直ってる。