7年ほど前の話であるが。私は、友人に「プロジェクトXすごいね。日本ってすごいね。」とプロジェクトXを推したことがある。当時の私はプロジェクトXにハマっていた。その友人は私に答えたのだ「プロジェクトXと電子立国日本が勘違いしちゃった原因だよ。そういう意見もある」
プロジェクトXが日本の技術立国を神話にした。
私は、その話を、当時真剣に聞かなかった。でも今ならわかる気がする。友人の意見は正しかった。彼は当時は伊丹にいたので、彼を伊丹と呼ぶことにする。伊丹の意見は次のように続く。私は明石に住んでいるから明石とする。
伊丹の言ってたことはだいたいこんな感じだった。
アレは団塊世代のオナニーみたいなもんで、彼らが自分の世代を自己肯定をしてる。承認欲求を満たしる。技術ってのは日進月歩で当時いくらすごかったといっても、それが今すごいことと何ら関係ない。明石、オマエもパソコン触ってるならわかるだろ。パソコン・パーツの殆どはもう日本製でもないし、ほとんどは台湾製だよね。性能と価格をどっちを比べても台湾メーカーを選んでるよね。過去のすごかったかが、いまはもうすごくない。プロジェクトXなんてのは懐古主義。「昔はよかった」と年寄りがよく言うセリフが番組になってるだけだよ。
オマエの好きなギガバイトも台湾だろ。もう日本製のパソコンパーツは手に入らないよね。細かい部品は日本製かもしれないけど。製品として最後に残ったエルピーダメモリだって高いだけじゃないか。結局さ、日本ってのは、団塊世代の技術力がすごかったんじゃなくて、団塊世代が数が多くて、安くソコソコの製品を作り出せたに過ぎないんだよ。人口が全てだったんだよ。
明石よ、オマエはそんなことで勘違いオナニーしちゃいけないよ。日本がすごかったのは過去の話だから。三洋電機なんてそのうちハイアールになってるよ。
伊丹の言葉は心に深く刻み込まれた。
伊丹は何気なく言ったことかかもしれないけれど。私の心には深く刻み込まれた。今ならすごくわかる気がする。その当時は私はアレコレ反論したと思うが今はあまり覚えていない。
伊丹の言ってたポイントはこんなところか。
技術による高付加価値は幻想だと思うようになった。
伊丹とは、アレコレたくさん話しをしたと思うのだが、これも今はあまり覚えていない。だけれども私の価値観はアレから変わった気がする。日本が技術大国だと思うこともなくなった。
なんでこんなことを書いたのか。
「技術で成り立っている国が何故技術者を大事にしないのか」は、「奴隷で成り立っている国が奴隷を大事にしない。何故なら奴隷は奴隷だからだ」の論理とシノニムなので何ら不思議では無い。ただし、これは近代国家や先進国にあり得るはずの無い思想だ。
https://twitter.com/#!/QaNiM1S0/status/169966764413812736
このTweetがキッカケだった。昔に伊丹と話したことを思い出した。
「技術で成り立ってる国」
それが、そもそも幻想なのだと思う。日本は内需の国なんだと思います。僕らは学校で「日本は加工貿易の国」だと習いました。加工貿易は一次産業ではなく二次産業に分類される。「二次産業」の二次は、副次的の意味ですね。一次から派生するのが二次産業
たとえば、食品を卸している流通業を考えてみる。流通過程でどうしても外側が痛んだり、余剰在庫品を抱えてしまってそれらがロスになる。廃棄するにはもったいないが、商品にはならない。それらを食品でなく材料とみなして加工食品を作る。一次商品(メイン)に手を加えて、加工食品(副次)を作る。だからこれが二次産業。
キャベツの加工貿易
具体的な例を挙げる。キャベツを例にしよう。キャベツはそのまま流通させてると外葉が痛みが多数出てくる。痛んでたら売れない。それでは利益が出ないので、そのままスーパーに卸すのではなく、千切カットでサラダ用に加工したり、そもそも丸キャベツが不要な外食産業に出すことになる。
このキャベツの千切りが、加工貿易だということだ。加工は材料があるから成り立つ。これが原則だろう。
その内に、加工が利益を出せるようになると、その利益でカット野菜の種類を増やしたり、カットだけでなく煮込み、冷凍食にも手を出せばいい。
加工貿易も同じ事だ。
ではその[加工]は誰がやるのか。
その加工をいきなり工場で行うにはあまりにもハイリスクすぎる。なので倉庫の片隅で余った時間でキャベツをカットする。つまり人手でやってきた。
次に、生糸を例にすれば、生糸そのものが輸出品目だった時代がある。はじめに生糸があった。そして絹織物。次に染物。更に衣装デザイン、最後に西陣織のようなブランドの確立。こうやって次々と副次的に製品産業が発展する。この発展パターンこそが、現代日本史だ。このパターンがあらゆる産業で同時並行で起こっていた。
日本の底力=江戸時代の資産。
最初は魚介類・農作物の加工。次にそれらを取引する市場。これらは江戸時代240年のミラクルピース時代に日本にちゃんと根付いていた。
これが日本の底力だったわけだ。あまりに単純化したモデルだけれど、それが日本だった。日本の産業はこうやって育ってきた。
少し日本の歴史を見なおしておく。
キャベツと同じようなことが、あらゆる漁業・農業で始まった。農業から繊維産業、次に輸出用に造船を作る。さらに日本にない材料を仕入れるために造船を始めた。そして国内輸送の鉄道が作られる。その先に大規模な倉庫と工場の需要拡大があった。建設資材を林業で木材まかなった。すぐに足りなくなりセメントが必要になり石灰岩を堀る。また資材輸送のため造船と鉄道敷設、そのために鉄が必要だった。その結果、製鉄業が栄えた。製鉄業に不可欠な燃料を確保するために炭鉱を掘った。こうやって次々と産業が進化していった。
このあたりで日本は第二次世界大戦に足を突っ込んだ。
そして戦後も似たような感じで進化していく。まず復興のために鉄、石炭が必要だった。そしてエネルギーは石炭から石油、電気に変わっていく。
この段階で一次産品に鉄と石炭が加わっている。と考えるといい。豊富な鉄であらゆる産業を下支えしていた。次に鉄を輸出するようになる。
これら加工貿易には人が必ず介在してきた。
エネルギーが変わった。
このあたりでエネルギーが石炭から電気・石油に切り替わる。石油を運ぶための造船業も、鉄も豊富にあった。底力だったわけだ。内需を満たすための石油・電気を確保していった。内需を満たし余りある鉄資源を外国に売った。
エネルギーが変わると機械が変わった。繊維産業が電気と石油で動くようになる。機械化していった。石油機械が大需要を生み出した。繊維の輸出工場を支えるために、つまり「内需」のために機械産業が発達する。トヨタが生まれたのがこの頃だ。トヨタはいまでも豊田自動織機ですよね。
次々と生まれ来る機械への内需を満たしていった。その内に、自動車を作るようになった。豊富な鉄と造船に、工業機械・輸送機械の内需を必死で満たしてた、その中で自動車産業が生まれていった。
自動車はあらゆる産業を巻き込んで発達していったけど、トヨタが自動車メーカーとして独り立ちできたのはマイカーブームという内需のおかげだった。
エネルギーは電気に切り替わった。すると電球が各家庭に普及した。電灯変わっていく。この電灯の内需を満たしたのが松下電器産業を始めとする電器メーカーだった。
トヨタも松下も人口ボーナスによる内需を満たすことで、工場と大量生産のメリットを享受していた。
それらを作ってきたのは大量の労働力。つまり、人口だったわけだ。
逼迫する電力需給
産業は機械化で電気を食うようになった。金を稼ぐには電気が必要だ。関西でも黒部ダムが作られた。その次に団塊世代がマイホームを建て、冷蔵庫が普及すると電力需給が逼迫する。で原発が作られるんだけど、この時期になると、人力での建設が難しくなってくるので建設機械が大量に作られ始める。だから電機と電器と電気が区別されたりするんだけど。まぁそのへんはいいや。
結局は人口ボーナスなんだとおもう。人口増加で逼迫する需給があって、それを有り余る工業製品で補って、それでも足りない部分を技術革新で乗り切った。それが昭和の時代。
なにもしなくても人口による需要がそこにあった。技術はあとからついてきた。
技術がある「だけ」でどうすんのさ
技術があったから輸出が栄えたんじゃない。一次産品から始まって有り余る鉄を活かして、内需を満たして自動機械を作って、有り余る機械で自動車と電器を作ったわけだった。輸出市場でのコストメリットは人口と下支えする内需だった。
まず一次産品がありきで、余った◯◯を活かして、何かを作った。その何かは人口のお陰でソコソコ売れた。作った◯◯が余剰になるとまたそれを活かして◯◯を作った。そういう時代だった。
プラザ合意で全てが崩壊する。
国内に豊富なものと、国内にない材料を組み合わせて、団塊世代が加工していた。それがプラザ合意で崩壊し始める。
円安のコストメリットで輸出が死んでいく。有り余ったのが金だ。日本に足りない材料を買っていた資金が余り始める。余剰資金が投資に向かい始める。そしてバブル期に至った。と僕は思っている
人口ボーナスは日本だけのことじゃない。
日本とほぼ同時期に人口ボーナスを経験していたのがアメリカ・ドイツ・フランスだと思う。イギリスは日本よりだいぶ早い。アメリカは日本より10年速い人口ボーナスがあった。だからアメリカに学ぶことで日本は次に必要なモノが見えた。しかもそれは日本でも必要とされたものだった。
北米市場で需要が生まれる、おこぼれが日本に来る。日本で作り始める、日本でも人口ボーナスで同じ需要が生まれる。北米は市場激化するが、日本は安定した内需がありコストメリットが生かせる。このパターンの繰り返しなんじゃないかと思えてくる。
奇跡の自然淘汰。
自動車にしろ、電器にしろ、日本に技術が初めからあったとは思えない。単に北米市場の需要を満たす試行錯誤をしているうちに日本で需要が高まったんじゃないかと。北米需要に始まる国内競争の自然淘汰を勝ち進んだんだ。
つまり日本は北米市場と国内需要の2つの自然淘汰を経験することができた幸運に恵まれたんだとおもう。
技術力は結果としてついてきたに過ぎない。だから「技術立国日本」は変だなと思う。
技術があるからそれを活かしてというのがちょっと変だなと思う。技術で立ててきたよりも、人口ボーナスでのコストメリットが大きいところは否定出来ないし、人口ボーナスによる淘汰圧はかなり効いていたと思う。技術を下支えしてきたこれら自然淘汰圧と、内需が働かないどうして技術を高めることができようか。今まで通りでいけるはずがない。
なによりも、日本人は繊細で手先が器用で技術力があったから発展しだんだと盲目的に信じることなど。。。これはありえないでしょ。
卵(技術)が先か鶏(北米発展)が先か
ここまで書いてきてやっとわかる気がする。技術は結果だと。単なる幸運。
いまの産業は技術を育ててきたんじゃなくて、時代が育てた。なにもしなくても北米需要と内需で勝手に育ってた。だから技術者を大切にしない。そしてそもそも技術で成り立っていない。ソコソコの内需に満たされているだけ。
そうやって考えると、電子立国だとかプロジェクトXとか、俺達の技術はすごかったと。そういうのは、あの頃は楽しかったなぁという、老人のやっぱり懐古主義で間違いないと思うわけです。
老人の懐古主義を間に受けちゃった人たちが技術神話を下支えしてると思うに至るのです。時代の閉塞感のなか僕達はすごいんだという妙な自信をつけちゃうような番組を支持しちゃったんだろうなと思う。なにより僕もその一人だ。当時、衰退する日本経済を眼前にして、コヴァの戦争論やらプロジェクトXやら、閉塞感と絶望感を打破する某論にすがったんだろうなぁ。
ありえないからこそ「神話」なんですお。
2012-02-18追記 プロジェクトXは勘違いオナニー
伊丹はプロジェクトXについて、次のようなことも言ってた。
電子立国 日本の自叙伝とか、プロジェクトXで妙に勘違いして、政府や政治家が日本には技術があるんだ。って思い上がっちゃった。技術ってのはすぐに追いつかれるし。何でもかんでも「日本の技術力はスゴイ」「地方にも埋もれた技術がある」とか「町工場の技術」がなんて持ち上げて日本はおかしくなっちゃった。政府が町工場をアテにするようになったら終わりだろ。そういう技術神話を半導体分野で形成しちゃったというのが、NHKスペシャル電子立国の罪だし、結果半導体で日本は大ゴケしたろ。そこにきてプロジェクトXだよ。こんなもの本記事で信じた政治家が日本にあふれたら終わるよ。そういう空気を作っちゃって、日本はスゴイってことに反論できない空気にしちゃったプロジェクトXの罪は重いぜ
と。
「就職するなら、寄らば大樹の陰でだぜ、大樹に逃げようぜ。」と伊丹はそんなことを言っていた。