それマグで!

知識はカップより、マグでゆっくり頂きます。 takuya_1stのブログ

習慣に早くから配慮した者は、 おそらく人生の実りも大きい。

何度も語る

同じ事でも、何度も何度も語ることを忘れたらいけない。

一度で伝わる、いや態度で伝わる「以心伝心」が(・∀・)イイと思う。

「心が通じ合った」

と思うのはすばらしいことだ。

しかし、その「心が通じ合った。」ことをちゃんと言葉や態度で確認する。

その癖をつけないことには意味がないと思う。

まして、自分以外は皆、他人である。
簡単に「気持ち」が、「考え方」が伝わると
自惚れてはいけないし、思い上がってはいけない。

「考え」は何度も何度も、折りにつけ伝え、形を変えて伝え続けるべきだ。

「うるさい」と思われても辛抱強く伝え続ける。

そんな日々の努力が考え方を共有する状態に至る。
考え方を共有しないことには「teamwork」は成り立たない。

人はともすれば自分の考え方、自分のモノの見方に囚われやすい。
よほど愛し、愛されていても他人の考え方で自分を考えることは難しい。
敬愛する人の考え方でさえ100%無批判で受け入れることは難しい。

たった一度、数度語っただけで伝わった。
前に言った。何度も言わせるな。
などと思うことは思い上がりも甚だしい。

それほど他人に考え方を伝え、それを共有するのは難しいのである。

自分の考え方を「相手」に受け入れて頂くのだ。
それは「考え方」を「押しつけている」のだ。

と謙虚が過ぎるほどに思う方が丁度いいと思う。

だから伝わるまで、共有出来るまで辛抱強く何度も伝えようではないか。
考え方に私心がないか、ワガママがないか謙虚に自省しよう。

たとえ普遍的な考え方でも、自分にとって常識であっても、
自分が簡単にできることであっても。

人の考え方、その通りに実行するのは容易なことではない。
相手が正しいとわかっていても、考え方を受容すべきとわかっていても、
変容はすぐに訪れるモノではない。

習慣に違いがあるのだから。
依拠する考え方に相違があるのだから。

真に我慢強く、変容が訪れるまで辛抱し相手の変容と受容を尊重しないことには、「考え方を共有する」は成し得ない。これが私の考え方だと何度も伝えよう。そして、してほしいことを伝えよう。何度でも。考え方を変えることは「信じるモノ」を変えることなのだから。我慢する覚悟を決めて何度も何度も伝えよう。

そして、その考え方をともに信じよう。

伝える考え方が私心に囚われたモノの見方でないこと
感情にまかせて喋らないこと。

これをふまえて、何度でも、何度でも辛抱強く語ろうではないか。

伝えないことには何も始まらないのだから。

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