日記です.あまり文章は上手じゃないですけど.
祖母が他界しました.突然のことでした.急死でした。祖母は、きのう普段通りに何気なく日曜を過ごしました.祖母は例年取り夏野菜の苗を買いに出かけ,いつも通り畑に植え付け僕ら孫や家族が喜ぶ様を想像しながら談笑していました.いつも通り外食で美味しいものを食べました。いつもと同じ平穏な日常です.
いつも通りお風呂に入りました。お風呂から戻ってこないので、また居間で寝ているのだろうと思って見に行ったそうです。そこにはいつも通り居間で寝ている祖母が居ました.いつも通りでした.ただ祖母は目を覚ますことはありませんでした.急なことでした.
何気なく毎日を過ごしていても人生にはなにが起こるか分からないです.司馬遼太郎の言葉が思い出されます『人生には三つの坂がある。 一つ目は上り坂。 二つ目は下り坂。 三つ目はまさか。』
まさか。でした。本当に信じられないことです.しかし起きてしまったら受け入れる。それだけです。損害賠償や損失補填生命保険があったとしても失った命は戻りません.命は尊い.
ちょっとしたサマーウォーズでした。祖母の訃報は現代のツールであっと言う間に共有されました。そして親戚縁者・近所の皆様が続々と朝から訪れました.そこからはちょっとしたサマーウォーズでした。栄さんほどでは無いですが、こんなに近所にいっぱい祖母の急逝を悲しんでくれる人がいたのかと驚きました.我が家は兵庫県の阪神間の外れにある農村です.昔からの人付き合いがまだまだ息づいています.
主の居なくなった家は広すぎます.もともと10人(+牛数頭)が広々暮らしていた家でした。みんな成長しそれぞれ家庭を持っています。だから広すぎます.
祖母はこの家で成人しずっと暮らしてきました。祖父,祖母と祖母の妹3人、叔父叔母5人、そして曾祖父・曾祖母。みんなで、この家で60年以上生活していました.大家族ですね.ご近所もそのような所帯でした.祖母は長女で祖父は近所からの婿養子でした。だから盆と正月はいつも賑やかでした.祖母がいるから我が家は訪問客の絶えない賑やか家です。祖母は片付けが苦手なお嬢様気質なので几帳面な僕と合わない事も多いですが.祖母は僕の誇りでした.祖母は近所や一族にとって統合の象徴でした。
昔は農業をしていると、一人でできないこと家族と近所で助け合うことが当たり前でした.だからみんな顔なじみです.近所だってみんな顔見知りです。電話やインターネットの時代になっても祖母は,ちゃんと近所付き愛を継続してたようです。直接行けないお宅には電話や郵便で連絡をとって居たのでした。現代のツールで祖母の交際範囲も徐々に広くなっていました.その小さなつきあいが80年続くととても大きなつきあいになっていました.
老人問題などと軽々しく言ってみたり,放射能で汚染されたら移住すればいいじゃん。そんなノリじゃないんです.お金で換算できない価値がある.経済はお金で換算できないモノをできる限り数値で評価します。だけどどうしても換算できなかったり.人によって評価が違うモノがあります.評価が違うのは価値観の違い。ですが、生活する上での安心感や幸福感はお金で換算できない。そんなことを感じました.
そういうことがやっぱり身にして分かったり。僕らは一人で生きてるわけじゃないんだってことを改めて認識したり.団塊の世代は煩わしいご近所つきあいという人もいるけれど.煩わしい一方で得るものも多いんだな。なんて事を考えました.
インターネットを駆使ししても交際範囲があまり広くない私とは比べものになりません.
僕も残りの人生があと1万日くらいなんだと思うことが多くなりました.いつ死ぬか分からない.毎日・毎日繰り返す中で悔いの無い人生を生きるにはどうすればいいのか.そんなことを考えます。ただできることは毎日、ちゃんと食べて感謝して謙虚に生きることなんだと。時間は限られている.だから過去を悔やんで時間を無為に使ったり、他人をねたんでも仕方ないんだと思います.楽しいこと大事なことに時間を割いた方が良いと改めて確認できました.
毎日毎日を大切に生きること
できる限り明日に先延ばしにしないこと
ずっとできないやり残しを作っても諦めること.
大事なのは明日に今日より良い日を迎えること
そして、毎日の積み重ねを大事にすること.
つまり毎日の習慣を大事にすること
そして、まさかが起きてもうろたえないこと
最後に、まさかの事態にうろたえない様、日頃から整頓・片付けを習慣にしておくこと
そして目上の人には元気な僕たちが力を貸さないと.
死に際して思うことでした.