事象には必ず両面がある。
わかりやすい例を挙げる
車の発明を例に考えることにする。
車が発明されたことで、救急車が活躍し、人の命を救うことが出来た。
車が発明されたことで、交通事故が多発し、人が命を失うことが多くなった。
車の発明を原因に求めることに、何か違和感を感じるのだ。
インターネットについて
インターネットについてだって同じこと。物事には必ず両面がある。もちろん10年前のインターネットの希望と現在のインターネットの絶望もある。時代によって評価が変わることも多いのだ。
二面性があるのは
二面性があるのは当たり前のことなので、矛盾していると言って反論することに意味がない。矛盾していることを受容して、その上で「どんな根拠に立って罪がある」と言っているのか、罪を防ぐために、良い面を犠牲にすればいいと言っているのか、良い面とも両立できると言っているのか、そこに気をつけていれば、そう簡単に「釣りエントリ」に釣られたクマーーが減ると思う。
もうね、マスコミを使う、変な団体に釣られるのをやめようよ。
功罪の優劣を議論することが無意味なこと。
物事には必ず二面性があることを忘れて、一方的な議論を吹聴することが怖いん。怖いことが相手の反論を認めない、道徳的に抹殺すると言うことである。
そういう意味で、シーシェパードやアグネス・チャンのような原理主義はとても怖いと思う。
相手の反論を認めないで自分の価値観で染め上げるのは洗脳に等しい。洗脳や丸暗記はとても効率が良いが、功罪を論じられなくなるという点で微妙だ。
そう、それが日本の侵略であろうと、米国の原爆であろうと功罪があるのだ。