「そんな認識だと心配」 井戸・兵庫県知事が石原氏批判
2007年04月09日
東京都知事選で3選を果たした石原慎太郎知事が8日夜の会見で「神戸の地震の時なんかは、(自衛隊の派遣を要請する)首長の判断が遅かったから、2千人余計に亡くなった」と発言した問題で、兵庫県の井戸敏三知事は9日の定例会見で、「失礼な発言だ」と批判した。
井戸知事は阪神大震災について「明け方の突発的な上下動が激しい地震で、多くの犠牲者が圧死だった。公的救済が入る前に、地域住民による救済が必要な状況だった」と言及。そのうえで「『関東大震災』が起こるとされている東京都のリーダーが、そのような認識だといささか心配だ。都民も心配で眠れなくなるのではないだろうか」と語った。
2007年04月09日 asahi.com
強調部分「地域住民の〜」が自分に不満だ。
自分は、兵庫県で生まれ神戸市で育ち、地震の時中学生だった、だから「非常に不満だ」 兵庫県知事は「行政は何もできなったから、何も責任がない。」という無責任な事を言っている。知事の発想は幼稚な発想だと思った。知事の言うとおり「公的救済が役に立たない」のなら、存在意義はない。なにより反論に災害派遣が遅れたことに対する反省がない。遅れたことは事実なのだから、人を救えていようが救えていまいが、判断が遅れたことは事実なんだ。
発生時には何もできなかったのだが、事前に備える事はできたはずだ。災害時の自衛隊との連携訓練。緊急時情報伝達の確保。ライフラインの復旧マニュアル。道路の優先仕様順序などなど。いや、もっと根本的なこと。それを行政は行う責任を負っていたはず。都市計画だ。普段から木造家屋や道路幅が狭い地域の拡幅、耐震基準未満の住宅の調査。これらを普段から行うべきで、権限を持っていて何もしていなかったんだ。何もしていなかったから火事は燃えっぱなし、渋滞は制御できず、自衛隊は地震発生後昼過ぎに現地入りというお粗末ぶり。そもそも、「知事要請での災害派遣」の存在を知っていたかどうかすら疑わしい。
オレなりに知事と元知事の二人の発言を要約するとこうなる。
- 「自分たちでも何もできなかった、だから自衛隊が来ていたとしても何も変わらなかっただろう。」
- 「災害はあまりに突発的で、予想外だった。巨大すぎて打つ手無しだった。」
- 「東京ならともかく神戸に巨大地震が発生するなど、予測しているはずがない」
- 「自分の安全は自分の手で守ってください」
その予想外の出来事が「もし起きたら、こうしよう」というプランすら持っていなかったのだ。予想外を予想外で済ましてはいけないのが行政じゃないだろうか。行政はそのために存在し、住民の財産・生命を守ることも仕事だろう。憲法に書いてあるだろうが。何もせず、税金を取っていくだけじゃ平安貴族と同じだよ。
兵庫県という日本の中でも大きい方の府県の知事が発言する言葉とは思えない。きっと石原慎太郎都知事は、「そんなバカな反論をする程度だから犠牲を増やしたんだよ。」と内心思っていることだろう。
逆説の日本史 10 藤原摂関家を読んでいて、兵庫県知事の無能っぷりはまるで平安貴族だなと思った。予想外の出来事を想定できないのは現代のコトダマイズムなのだろうか。
もし井戸知事に会えるなら、言いたい
「大人の反論をして下さい。」
「東京都に、ノウハウを提供しましょう。兵庫県では、地震を教訓に体制が、かなり強化されています。教訓とは、自衛隊の災害出動より、事前準備と地域の協力の必要不可欠さです。我々は対策を進めてきました。都知事も自衛隊派遣に拘らず、もっと広い視野で準備を進めて下さい。応援しています。」
「こう都知事を皮肉る方が賢明です。心配で眠れないのは都民じゃなくて兵庫県民ですよ。」
どう考えても考えても神戸より江戸の方が安全だから、オレも江戸に行こうかな。
このニュースから得た教訓
この都知事発言と兵庫県知事反論から分かること、人の批判は素直に受け入れましょう。ということだろうか。むやみに反論などしない方がオトナだと思った。記者会見を開いてまで反論する内容でもなかったしね。