それマグで!

知識はカップより、マグでゆっくり頂きます。 takuya_1stのブログ

習慣に早くから配慮した者は、 おそらく人生の実りも大きい。

教育は国の礎であるわけで。

 安部さんが自民党の新総裁になった。教育基本法を変えてくれそうなので期待している。右寄りに左寄り、どちらに変わるのか。今後の展開次第なんでしょう。時代遅れを見直し時代に合わせて欲しいと願うのです。兎角、時代に合わない教育を子供に強制するのは悲劇だ。国のためにならないでしょう。金太郎アメ方式じゃだめでしょう。天才は天才として馬鹿は馬鹿として育てて欲しい。人間性がどこか破綻してても構わない。金太郎飴のように同じ答え、同じ性格、同じ規範で育つのが気持ち悪いと思ってる。


 進化のためには多様性が不可欠だと思っています。生き物でも、人間でも文化でも、多様な中から取捨選択され弱肉強食され激しい生存競争を生き残っていくことが競争力をつけ仲間を守っていくことが出来るからです。


 ただ現在の教育を日教組がゆがめてしまった。困ったことに「仲間を守る意識」というものがどうも欠如している。愛国心は「仲間を守り、家族を守る意識」のことなのだが。教育がそれを否定してることが怖い。どんなに天才でも、どんなに馬鹿でも、それぞれ家族がいて、仲間がいる。それが人間として生まれてきたら逃れられない宿命でしょう。人によって仲間意識が適用される範囲は違うだろうが。たとえば巨人ファンと阪神ファンがいがみ合ったとして、それでもプロ野球の危機には一致団結できるだろう。それくらいの仲間意識。それが「国家」になると嫌悪を示す人がいる。急に顔色を変えて声を荒げる人がいる。そういう人の仲間意識はどこまでを仲間だと思えるんだろうか。了見の狭さが目に見えるようだ。


 天才はどんどん天才になるように、ばかはそれなりには生きられるように。それが教育。天才も馬鹿も「ふつうの人」になることを強制するような社会は変だ。差をつけないのは変だ。現実にある格差を認めないのも変だ。たとえ格差が歴然と存在するが、一億総中流などと言葉でごまかし見て見ぬフリを続ける方がよっぽど卑怯だ。学力に差があればその差に応じて教育を変えてあげる。それくらいの柔軟性があってもいいんじゃないか。


 中学3年生くらいになると、学力の差が歴然としてくる。中学生の英語が出来ない高校生。高校生むけ教材を難なく片付ける中学生。そんなケースがごろごろとしてくる。全くついて行けない生徒もいる。そんな生徒と出来る生徒が同じ授業を受けなくてはいけないのは不幸だ。誰にとっても幸せでもない。習熟度別授業でいいじゃないか。

 習熟度別にすると「劣等感」を産むから善くないとする。「私は出来ないんだ。」と思ってしまうから不幸だという。それは出来る中学三年と、出来ない高校生のように、差が歴然としているからだ。そうなる前に手を打つべきなのである。そこまで差が出来ないようにするのが現在の教育の理念だったろう。結果として歴然とした差がある。その現実をどう解決するか。具体例も出せないまま「改悪」だと叫ぶ人がいる。それは今後同じ不幸を生み続けるだけじゃないのか。

 天才は天才でいい。個性を伸ばすなんて耳障りが善すぎて少しいやだ。何か欠落したモノがあると自分でそれを補おうとするのが人間じゃないか。たいていの人は自助努力に向かう。その向上心を醸成するのが教育だろう。差を自覚することで現実を直視する。その方がずっと大事だと思います。心も健康的だ。「どうせかなわない。」「やるだけ無。」そういうミーイズムや無気力を産んでしまわないように教育が必要。そのためには早め早めの習熟度別だとおもうです。


 留年は恥じゃない。やり直してもいいから、やり遂げることの方が大事だ。時間をかけてもいい。出来ないことを出来るようなフリをする癖がつく、それが問題だ。出来ないまま卒業できてしまうことの方が大問題だ。


 序盤で書いた仲間意識の延長ですけど、仲間意識ってのはみんなで力を合わせることで生まれる。そうおもいませんか。私は、出来る人と出来ない人がごりゃまぜにされたクラスでは仲間意識が生まれにくいと思ってて。習熟度別でもっと過激に、学年を飛び越えることが当たり前でいいと思ってる。仲間ってのは同じ問題に取り組む仲間なのだから。勉強のテーマが違うclassmateとは永遠に仲間になれない。それなら、年上でも年下でもピタゴラスの定理に苦しむ生徒ばかり集めたクラスや、受験生から中学生まで、仮定法がわからない生徒ばかりを集めた方がよほど効率がよく、生徒も自分と同レベルとわかるから仲間意識が生まれやすい。しかも目標がはっきりしている。先生も教えやすい。とおもうのです。

仲間意識の醸成はなにも国旗や国歌に敬礼するだけではありません。もっと大事なのは、社会とは小さなコミュニティーの集合でその集合が重なり合っていて、その最大のコミュニティーが国家であるということを自覚してもらう必要があるわけです。

追記:

 地球国家や宇宙船地球号などと耳障りの善い言葉は放置していい。地球国家がいいなら50年前のソビエト中華人民共和国、USAにいけばいい。彼の国では人類史上最大の実験として地球国家の創設を理念に掲げ人類皆平等で平和的国家の創設を目指している。その実験の結果は言うまでもないでしょう。悪いが、日本はそういう国ではない。どうしてもそういう理念が好きなのなら、国を去ればいい、それくらいの権利は認められている。