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知識はカップより、マグでゆっくり頂きます。 takuya_1stのブログ

習慣に早くから配慮した者は、 おそらく人生の実りも大きい。

記号としての・・・

 格差社会。なんか言葉が一人歩きしてきたな。格差社会って小泉首相の在任期間と対にして使われるけれど、本当にそれでいいの?対になってていのかというのが正直なところ。バブルの頃なんて土地持ちや銀行マンと一般サラリーマンで明確な格差があって、このままでいいのか!!って記事が週刊誌にあふれていたような。MOF担なんて言う言葉があったかな。明確な格差があるってのは周知の事実だったわけだ。


 格差社会の念頭には背景には団塊の世代があり、若者の格差なんてモノにはあまり筆を割いてくれていない気がする。


 私なりに格差社会の登場背景を推察してみる。団塊の世代の定年が関係していると思う。


格差はいつの時代でも存在する。そのことは忘れていけない。いざなぎ景気からバブルまで日本は景気がよかった。だから団塊の世代のひとたちは、必ず自分は豊かになれると信じることが出来たし、若かった。


 ところが、定年を迎えてみると、年金はもらえない。退職金はバブル崩壊のあおりをうけ激減。バブル崩壊後リストラされている人はもっと悲惨だ。介護保険は値上げ、バラ色の定年生活を夢見ていた人々は、その現実前に夢破れ打ちのめされた。

 その絶望感は、「これから楽になることはない。」と現実を直視したのだが。団塊の世代が若くて景気がよかった頃には、みな希望に燃え一億総中流(*)を目指していた。それが一生このままという意識に変わった。それが格差の固定感につながっているのではないだろうか。

 どう考えても失われた10年を取り戻した小泉首相は格差社会を防いだはずだ。景気が悪いときほど格差は広がるモノだから。景気を取り戻した小泉首相の在任期間は評価されるモノだろう。しかし一部のマスゴミはどうしても小泉首相を非難したい。そこで格差社会という用語を生み出した。それがたまたま、定年を迎え、バラ色の定年生活に夢破れた団塊の世代の空気とマッチしただけじゃないだろうか。

 小泉首相と格差社会を結びつける根拠はあまりに薄い。朝日新聞にはほとんど記載されない。だが小泉首相と格差社会はセットで語られる。これは変だ。言葉が一人歩きをしている。


(*実際にそんなことは起こりえないのだが)