それマグで!

知識はカップより、マグでゆっくり頂きます。 takuya_1stのブログ

習慣に早くから配慮した者は、 おそらく人生の実りも大きい。

禁煙強制はどう考えても、おかしいだろ

土日は、基本的に、読書とドキュメンタリーをみる。朝日を読んだ。普段はMixiに書くのだけれど。。。Mixiに厭きたので、はてダに書くことにした。

2009年5月23日のオピニオン。が秀逸だった。

土曜オピニオンだけは朝日らしくない記事が読めて楽しい。最近の楽しみである。今週はタバコが苦手なジャーナリスト斉藤貴男氏の記事が秀逸です。

お上頼みの禁煙は個人の自由を損なう。

タバコを吸うか吸わないかは個人の自由だし。大企業や国が個人の人生にまで口を出すのはおかしいという。

クジラの次はマグロでした。

捕鯨禁止を許したら次はマグロだと言ってた団体がありませんでしたか、つまりタバコに関する規制を認めれば、次はカフェインですか、抗うつ剤ですか、アルコールですか。テレビゲーム禁止や、漫画やバラエティーは馬鹿になるという幻想と何ら変わらない気がする。タバコの次は何になるのでしょうか。僕はそれが知りたくてわくわくしています。

他人に考え方を強制できない。

個人の生き方や、考え方が合わないのは、仕方がないと思う。しかし、それでも折り合いをつける。妥協すべきは妥協し、主張すべきは主張する。譲れないところは、各自譲れないことを主張すること。そうやって他人と生きていくのが苦悩するのが普通だと思う。

お上が決めたからとみんなで従う。お上にお願いして自分たちを規制して貰う。結果的に都合がよければ満足してしまうようなら、ぼくらはどこまでもお上に頼る存在になってしまわないか。失うモノも創造して欲しいのです。(2009年5月30日朝日新聞25面より)

お上の否定にどこかちょっとアナーキズムやサヨクを感じるけれど、気持ちはわかる。秩序は法律だけでまもらず法律に頼りすぎず十分にあいてとコミュニケーションをする余地があるがあるはず。法律はそこまで個人と個人の交渉を否定してないと思うけれど。

法律を盾にしないで。

法律を盾にすると言うことは、個人と個人のつきあいをする、その気がないんだなと思うときがある。禁煙を強制するときに「法律で決まったでしょ」と言うのは簡単だ。でもそれは相手を尊重せず、一方的な物言いになる。マイノリティーや障害者は大事にする。しかし、喫煙者をそこまでいじめる必要はないと思う。

相手の気持ちを解るためには飛び込む勇気

タバコを積極的は口にしない。ただ口にするときがある。それは相手と同じ目線や同じ立場であることを表明する一つの手段ともいえる。人には、それぞれ事情があり、それぞれ考え方がある。もし考え方を変えて欲しいと思うなら、自分の考え方に賛同してくれるように協力を求めるしかないんじゃ。

安易な喫煙と、安易な禁煙、それは迎合

周りが吸ってるから、喫煙を始めたり、喫煙することが当たり前だから吸ってた。今は禁煙が当たり前だから禁煙する。なんかその方が体に良いらしい。それって主体性のない考え方だから、本当にイヤだ。

  1. 周りがマスクをするから、マスクしないとダメみたい。
  2. みんな、テレビゲームをしているから。僕も。
  3. あの話題のドラマを見てないと話に参加できないから。
  4. etc...

結局さ、大本営発表を信じた戦前の人と現代人は何も変わっちゃいない。最近はそう思う。戦前は負けるとか、敗戦が忌み語だった。そして現代は、喫煙やメタボが忌み語になった。いまでも結婚式は忌み語だらけだ。そんな中で何も変わっちゃいないんだな。そんなことを思うだけ。

迎合も悪くないけど

どこまでが許せて、どこまで以上は迎合しないぞという意識は欲しいよね。

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