それマグで!

知識はカップより、マグでゆっくり頂きます。 takuya_1stのブログ

習慣に早くから配慮した者は、 おそらく人生の実りも大きい。

生活水準を貨幣価値で測ることは怖い。

「1日1ドルで生活する人。」という言葉がある。これには怖い偏見が含まれている。それは貨幣価値をすべての基準とし、幸せの判断と生活のレベルを全て貨幣価値で測ろうとする偏見である。古の聖賢は言った「目の上の梁をどけろ。」と。この場合梁はお金の絶対視だ。「貨幣経済」と「自給自足経済」の違いがある。「1ドル」でハンバーガーすら変えないかもしれないが、お天道様の恵みのもと、家畜と野菜を必要な分だけ摂取している。というか摂取できる。過剰なカロリー摂取はない。吐くまで食べる、食べ残すこともない。そんな自給自足経済を貨幣経済の価値観で推し量ることは危険だと思う。

「1ドルで生活する人」が不幸だから。その人に教育を与えたらよいだろうというのも傲慢である。教育をするということは、イコール貨幣経済に組み込むことである。いままで、ジャガイモや牧草地、果樹の森、多様性があった自給自足経済の生活の場は、貨幣経済のため、牧草地に改造され、商品作物を作る事を強いられる。それは幸福なのか?「1ドル」だといけない信じる『偽善者』のために。これらは何百年なされてきた。

 たくさん貨幣を稼ごうと思えば、商品作物を作らなくていけない。一斉にカカオ豆を作れば、暴落と急騰の市場経済に左右されてしまう。需要と供給ののバランスをとりつつ、生産性をあげ、価値の高い商品作物を育成する。そのために教育が必要になる。こんな難しいことを押しつける方が傲慢でないなら何だというのだろう。

 本当に不幸の始まりは1ドルで生活する自給自足経済を救済しようとする「偽善者」の行動の後である。先進国の農業機械なしでは成り立たないプランテーション。先進国の需要バランスだけでなく、景気、市場動向に左右される収入。借金をして農薬を買い、農機具を買い、ジャングルを切り開く。働き手が少ないから子供を必要以上に産む、農地を巡って激しい戦争をする。「偽善者」は幸せをもたらしたのか?


 これは西洋社会の原罪だと思うのだ。


 具体例を出そう、インドの綿花栽培。アフリカのカカオ豆生産。南米でのトウモロコシ生産。各地域の人たちは、収入を増やすため必死に働いて、生産を上げる。その結果どうだ。市場にあふれた綿花やカカオ豆は暴落を引き起こし、増えるはずの収入は減っていく。その一方で生産を増やすために借金を重ね、アメリカの遺伝子組み換え植物の種、農機具、農薬を買っている。価格は下落する、借金は減らない。借金を返すため増産する、するとまた市場価値が下落する。悪循環。このジレンマが世界で起こっていることなのだ。決して1日1ドルだから不幸だとは言えないのだ。自給自足経済を無理矢理に貨幣経済に組み込んだ結果だ。農村問題は往々にしてこのストーリーに類似している。


 たとえば、医療という生命に関わる技術が貨幣価値で提供されている。これは怖いと思う。自給自足経済で生活する人が西洋の医療を受けようとすると膨大な借金になる。子供の命を救う医療がその家族の生活の糧を奪うことすらあるのだ。死ぬべきは死に生きるべきは生きる。この世は色即是空・空即是色であり無為自然なのだと思うが。救える命は救ってやりたい。せめて医療くらいは平等に受けられるようにして欲しいモノだ。命の重さが財産で測られてしまうのは悲しいと思う。


本当に救うべきなのは、「西洋文明のなかの底辺」なのであり「食事がない人」なのだと思う。


自給自足経済を侵略してきたのは先進国なのだ。。。社会主義はこの疑問から生まれている。



悪魔は天使の顔をしてやってくる。



個人的には、この悪循環を断ち切るのはGoogleのような企業であり、パブリックドメインにある技術だと確信している。社会主義が失敗した。原因はいろいろあるが、パブリックドメインでの真の共有化があればもう少し長生きしていた。Googleが社会主義を始めるとたぶん成功する。というか、Googleの前では全員が平等になりつつある。人類の知恵の独占だけは許されることではない。著作権の延長は許せないし、PBR/PERなどで病院を判断することはしたくない。